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数え切れないほどの木と数え切れないほどの鳥と数え切れないほどの雨ふりに満ちた世界

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最近、どんどん日の出が早くなり、
もう私の目覚めは夜明けに間に合わなくなってしまった。
朝目を覚ますと、
4時過ぎだというのにこの世界はすっかり明るくなっていて、
もう鳥たちは目覚めきっている。

西荻に、初夏が来ました。

私は、
何度も読み返してきた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」をまた読み返す。
上巻の最後、17歳の若い娘が、
もっと小さな女の子だったころ、入院していた病院でのある日の夕方のことを話す。

小さな女の子は、病院の窓の外のくすの木と、その木にやってくる鳥たちを毎日みていた。
鳥たちは、雨が降りそうになると木から去り、
雨がやむとまた木にやってきた。

その日の夕方は、雨が降ったりやんだりしていた。
鳥たちは、それにあわせて、木にやってきたりどこかに飛んでいったりを繰りかえした。

「そのとき私はこう思ったの。世界って、なんて不思議なものだろうってね。
世界には何百億、何千億っていう数のくすの木がはえていて、
そこに日が照ったり雨がふったりして、
それにつれて何百億、何千億という数のいろんな鳥がそこにとまったりそこから飛び立ったりしているのね。
その光景を想像していると、私はなんだかとても悲しいような気持ちになったわ」

「どうして」

「たぶん世界が数え切れないほどの木と数え切れないほどの鳥と数え切れないほどの雨ふりに満ちているからよ。
それなのに私はたった一本のくすの木とたったひとつの雨ふりさえ理解することができないような気がしたの。永遠にね。
たった一本のくすのきとたった一つの雨降りさえ理解できないまま、年をとって死んでいくんじゃないかってね。そう思うと、私はどうしようもなく淋しくなって、1人で泣いたの。泣きながら、誰かにしっかりと抱きしめて欲しいと思ったの」

私にも、
夕方が来るたびに、
あるいは一日中夕方が続くような日々が数ヶ月続く中で、
泣き出す寸前の鼻の奥の痛みを体の中に抱えて、
この世界のどこに身をおいていいのか、
わからないときがあった。
そして、
私には、
しっかりと抱きしめてくれる一組の腕があった。

誰かにしっかりと抱きしめて欲しいと願うときに、
本当につよくしっかりと抱きしめられることで、
私はなんとかこの世界につなぎとめられた。

ハードボイルド・ワンダーランドの中の女の子は、
その夕方家族が亡くなったことをあとから知らされる。
その日の夕方のことを、若い娘は続けて語る。

「よく覚えていないわ。そのときは何も感じなかったんじゃないかっていう気がするの。
覚えているのは、私がその秋の雨降りの夕暮れに誰にも抱きしめてもらえなかったということだけ。
それはまるで―私にとっての世界の終わりのようなものだったのよ。
暗くてつらくてさびしくてたまらなく誰かに抱きしめて欲しいときに、まわりに誰も自分を抱きしめてくれる人がいないというのがどういうことなのか、あなたにはわかる?」

私には、わかる。
その私は、
しっかりと抱きしめられた記憶を持つ。


昨日、友人夫妻の家に遊びにいきました。
生まれて4ヶ月の小さな男の子は、
夕方になると、
すこしせつなそうに泣いた。

どれだけ小さくても、
この世界のせつなさを、
男の子は知っているのかもしれない。

そして、
雨降りの前に木から飛び立つ鳥が、
私たちに雨が降ることを教えてくれるように、
ちいさな男の子は、
私たちに、この世界に夕方になると特に満ちてくるせつなさを、
教えてくれるのかもしれない。

その小さな男の子を、
しっかりと抱きしめる腕が、
その家には二組あった。

この世界は、
たくさんのくすの木と、雨降りと、鳥と、
切なさと、深い安堵と、
興奮と静けさと、
さまざまなもので満ちている。

そしてこの世界は、
たまらなく誰かに抱きしめて欲しい瞬間にある(おそらくはたくさんの)人を、
含んでいる。

そのときそこに、
できれば抱きしめる腕があって欲しい。
昨日の、小さな男の子を抱きしめる二組の腕のように。

でもそこに、
うまい具合に抱きしめる腕がないことがある。
(抱きしめる腕は遠くにあったり、
 亡くなったり、
 その腕自体が抱きしめられることを望んでいて抱きしめる力がなかったり)

その腕がないときがある、この世界を、
私たちは生きていく。
生きていくことができるのは、
強く抱きしめられた、遠い記憶があるからかもしれない。

遠く、強く、温かく、やわらかい記憶は、
私たちの取り出せるところより深くにしみこみ、
いつか私たち自身がその記憶を忘れたとしても、
それでも私たちの奥に去らずにある。
ずっと、そこにある。

だから、
たぶん大丈夫。
小さな男の子が大きくなり、
この世界が今とはとても変わっていたとしても、
私たちがたくさんの記憶を取り出せなくなっていたとしても、
だからたぶん大丈夫。

昨日の帰り道、
夕暮れが来る前、
駅まで一緒にあるく、小さな男の子の母である友人の横顔は、
小さな女の子のようでした。


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